精神科救急の現場から
登場人物は
すべて
架空の人物です。
●警察官が聞いたのはスペイン語?
「銀座のデパートで暴れている女性がいる」との通報で現場にかけつけた警察官が見たのは、スペイン語で怒鳴り続ける、女性の姿だった。
暴れていた売場から、警備員によって応接室に連れて行かれていたが応接室の隅にうずくまって警備員を怯えた顔で睨み、叫び続けている。
「・・・!! Soy asesinado por ?!!・・」。
現場に駆けつけた警察官の中に大学のスペイン語学科を昨年、卒業した高木康平がいた。
「殺されるって・・、警備員に?」と少し考え、
精神障害に気づいた高木巡査が茂呂巡査長に「殺されるっていってますけど」と言うと、
ベテランの茂呂は言葉はわからないものの、
状況を見るなり精神障害の疑いが濃いと判断していたようだった。
「ああ、署に連絡して保健所に通報してもらおう。さあ、保護するぞ」と女性を両側からかかえるようにしてパトカーに乗せた。

パトカーの中で茂呂が高木に尋ねた
「おまえ、この女性の言葉がわかるのか」
「ええ、スペイン語ですね。学生時代、スペイン語を専攻していましたし、4年生のときは半年間スペインを旅行したことがありますから。でも、この方、少しアクセントが違うような気がします。ひょっとしたら中南米の方かもしれませんね」
「なるほど、日系人か、どうりで見かけは日本人なんだ。じゃあブラジルから来たのか?」
「いいえ、ブラジルはポルトガル語ですから、チリやペルーじゃないですかね」
「・・・No se lo acerque Jyunko!! ・・」
「今、ユンコって言ったよな」
「ええ『ユンコに近寄らないで』って聞こえましたけど」
「ユンコってのはこの方の名前か?」
「そうかも知れませんね。?Su nombre es Yunko?」
「・・・No se lo acerque・・」
「こちらを認識していないようですね。何かに怯えている」
「だろうな。じゃあ、おまえから署へ報告しておけ、とりあえずユンコという名前の30台半ばの女性を保護したことと、その女性がスペイン語だけしか話していないこと。精神障害の疑いがあること、以上だ」
●通訳ボランティアを確保し
高木巡査から連絡を受けた警察署ではすぐに保健所に連絡、保健所から精神科救急情報センターに連絡が入った。
「銀座の警察からデパートで暴れていたスペイン語を話す、30台半ばの女性を保護したと連絡がありました。通訳が必要なため、本来なら公立病院に送らなければならないのですが、今日はもう5名の患者さんを救急でまわしました、これ以上対応できないと言われています。輪番の民間病院なら今日はおおぐま病院の担当日なのですが、おおぐま病院にまわして良いでしょうか?」
「おおぐま病院に一報だけ入れてあげてください。それと医療通訳については保健所におまかせしましょう。ボランティアのスペイン語医療通訳の方をおおぐま病院にまわせないか聞いてあげてください」
「わかりました」

その頃、おおぐま病院、精神科救急病棟(スーパー救急)では病棟看護師長の木村瑞枝が病床のやりくりに追われていた。
「豊田さん、今日C棟に移るんじゃなかったの!」
「その予定だったんですけど、C棟の今岡さん、ご家族が急に来れなくなったと連絡があったそうで、退院が延びたんです」
「えっ、今岡さんって、ご家族の方ができるだけ入院させておいてって言っている方じゃなかった?」
「そうです、ご家族は引き取りたくないっていつも言ってます」
「他には空きはないの?」
「ありましたけど、午前中に外来に来た方で入院が2件あったそうです」
「ええ?」
木村はC棟の西浦看護師長に連絡を入れた。
「西浦さん、空きそうな病床はない?」
「空いている病床はないけど、本村さんをD棟に移っていただくという手はあるかもしれないわね」
「じゃあ、それができればそこに豊田さんを移せるわね」
「それは可能ですね」
やっと1床確保できそうである。だがもう1床必要で各病棟と交渉が続いた。
結局、各病棟との交渉が終わり、救急のための空床を2床確保できたのは午後4時をまわっていた。
●来る者は拒まずの方針なので
おおぐま病院は退院促進に力を入れている。 町中に立地(と言っても、元々郊外の丘陵地帯にポツンとあったおおぐま病院の周囲が開発され町になり、しかも近くに駅までできてしまったのだが)していることもあり、病院内には喫茶室も売店もない。昨年までは喫茶室があったのだが救急外来を広げる際に撤去してしまった。
必要があれば、病院近くの喫茶店かコンビニを利用してもらうよう仕向けている。
もっともこの“患者さんをどんどん外に出そう”という方針は、
表面的には地域社会に受け入れられているが、快く思っていない方々も多く、
形を変えたクレームが病院にくることもある。
それでも他の地域に比べれば、地域社会に受け入れられているが
その分、
院長が地域社会のために働かなければならない仕事も多い。

家で認知症患者さんを介護している人々のサークルに講演のため出かける際に
『僕がそこのベンチで患者さんとゆっくり話ができるのはいつの事だろう』と大熊院長から話しかけられたことがあるのを救急病棟看護師長の木村は思い出した。
精力的に働いている大熊院長からこんな言葉が出てくるなんて思ってもいなかったので印象に残っている。

今日は大熊院長が当直である。外来当直の赤木看護師が院長に
「ユンコとおっしゃる30台の女性が銀座のデパートで暴れて保護されたので診て欲しいとの要請がありました。スペイン語しか話さないそうです」
「えっ、俺、スペイン語わからないよ」
「そうでしょうね」
「赤木さんは分かるの?」
「いいえ!」
「元気な返事だねぇ?」
「でもそれじゃ、受けられないだろう」
「ええ、でも保健所の方で医療通訳の方を確保してくださったそうです。それにB病棟の高橋さんご存知ですか」
「ああ、大学を出てから、看護学校に入ってそれでこの病院に勤めている」
「そうそう、あの人、東京外語大のスペイン語学科だって聞きましたよ」
「本当?!。確認して、それと、今日は勤務かどうかも確認ね」
大熊院長は来る者は拒まずの方針で患者さんを受け入れている。しかし、精神科で言葉がまったく通じないとなるとそうも言ってられない。
●ペルー生まれの日系3世
「高橋さん、当直ですって」
「本当か、よかった、じゃあ、すぐに受け入れるって連絡して。必ず医療通訳の方も来てくれるように念押ししてよ」
そう答えてから、「でも、俺、スペイン語分からないよ」と少し弱気になったところを
「あっ、院長、いやだなって思っているでしょう」と赤木看護師に見透かされた。
「いや、少し疲れているだけだよ」と言い逃れたつもりの大熊院長だったが赤木看護師はにやにや笑っている。

医療通訳の必要性が認識され、今年(2009年)の2月には医療通訳士協議会という団体の設立総会が開催された。事務局は大阪大学内にある。同じ大阪府下のりんくう総合医療センター市立泉佐野病院には国際外来が開設されており、「文化の違いも把握しつつ、患者と医師の間を取り持つ医療通訳」が行われている。

もっとも、このように国際外来が設置されている医療機関はまれで、とくに精神科で通訳をおこなうときは、患者さんの暴言など、精神科に対する慣れも必要になる。
そこで、神奈川県や埼玉県、千葉県では、通訳の方々に年間数回の講座を開設し、精神科での通訳ポイントを伝え、医療通訳を養成するとともに、必要な時に通訳を依頼できるようにしている。

ただ問題は費用で、公立病院なら通訳予算を確保しているところもあるが民間では、ボランティアに依存するしかない。時には、病院までの交通費等もボランティアの負担になることもあり改善が必要だ。

ユンコが警察官とともに病院にやってきた。男性が一人付き添っている。顔つきからみて、一人は保健所から依頼された通訳だろう。
ユンコの正確な名前は鈴木エレナ。ペルー生まれの日系3世で彼女が日本に来たのは2003年、

2000年に夫が出稼ぎで来日し、数年で帰国するつもりだったが、治安の良さや日常生活の便利さからさらに滞日することになり、家族を呼び寄せたのである。
エレナ(ユンコ)には祖父母がつけた日本名があり、それを順子といった。だから本当はジュンコ(JYUNKO)なのだがスペイン語ではJを発音しないためユンコになっていた。

付き添ってきた男性は医療通訳者で、エレナと同じペルー生まれの日系2世で、子供の頃から両親が日本語で話していたため、言葉に不自由はない。通訳者を見て大熊院長もホッとした。

外来診察室に入ると高橋看護師が居た。
エレナさんは先ほどよりは落ち着いてきているようだ。
30分ほど遅れて、エレナさんの夫もやってきた。夫はやはりペルー生まれの日系3世。エレナさんよりは日本語もうまく、日常生活に支障はないように思えた。

夫の話によると、来日から2、3年くらいは普段の様子に変わった所は無かったという。
ただ、なかなか日本語がうまくならず友達もできなかったようだ。
その後、日本の不況も深刻になり、
少しでも給料の良い職場をさがし、現在の会社にパートとして雇われた。
ところがこの職場で
「外人が安く働くから日本人が追い出される」
といじめを受けるようになった。
日本語が不自由で満足に反論もできず、友人もできなかった。
その頃からペルーに帰りたいと言いだすようになった。

ペルーに帰っても仕事が見つかるわけではなく、
治安状況も日本の方が安定しているからと説得し、
一定の貯金ができたらペルーに帰ろうと約束して納得させたのだという。

ところが、夫の会社がリストラで賃金をカット、
生活費が収入を上回るようになり預金も減少しだした頃から、
急に怒りだしたり、怒鳴り散らしたり、泣いたりという状態になった。

今朝も『頭が痛い』と言っていたのだが、仕事があるので家に残して出勤したのだという。
「休めなかったのですか?」
「仕事を失いますから。仕事を無くすと、派遣ですし、日本人じゃないので何の保証もありません」
大熊院長が夫と話をしている間にもエレナさんは夫を叩いたりしている。 高橋看護師の制止もまったく聞かない。

医療保護入院とすることで夫と話ができ、
医療通訳がそのことを本人に伝えると大熊院長を押し倒そうとした。
治療の必要性が理解できず協力を得られそうにないため、
落ち着かせるための薬を注射し、
隔離室への入院手続きをとった。
●午後8時50分、救急の本番はこれから
連絡を受けた精神科救急病棟の木村看護師長は
満床だった隔離室から一番状態の落ち着いた山田さんを閉鎖病棟に移し、
頻繁に観察するように指示したうえで隔離室を空けた。
高橋看護師もエレナさんが入院している間だけの臨時措置として救急病棟勤務となった。

木村看護師長にとって緊急に隔離室を空けるケースにとまどうことはなかったものの
職員の配置転換まで伴うのははじめてだった。
落ち着いてきたら、生活に必要な日本語は話せるということだったのだが、当面高橋看護師に負担がかかることはまちがいない。
しかも、隔離室は満床、
「これでもう一人、隔離室を使う患者さんが来たら、だれを閉鎖に移すか考えなくっちゃ」
と思いながら、隔離室の準備をさせるとともに、閉鎖病棟から開放病棟に移せそうな患者さんのリストアップに入った。

外来では赤木看護師がやっと夕食にありついた。
見る見るうちに空の食器が増えていく、
このごろ家で『もう少しゆっくり食べなさい』と言われるようになっていた。
「しかたないでしょ、のんびり食べてたら救急外来で食事なんかできないのよ」
「ここは家だよ」
「しかたないでしょ、習慣なんだから」
これで親は黙ってしまう。
以前、一度母親が「だから太るのよ」と言った事があった。
太りだしていたことを気にしていた赤木看護師が猛烈に反論、というより『太る』という言葉に怒った。
それ以来、赤木家では『太る』は禁句になっている。
救急外来担当時の食事は早く済まさなければ、本当に食べられないこともあるので、早食いが習慣になっていたが、本人はそれではいけないと思っていた。しかも同僚の看護師仲間では太っている人は少なく、そこを指摘され爆発したのである。

「はい、おおぐま病院事務当直早川です。はい、50歳、男性・・」と事務室から電話を取る声が聞こえてきた。
まだ、午後8時50分、精神科救急の本番はこれからである。
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