●軽い気持ちで麻薬に
大橋隆二(23歳)は都内の大学3年生。昨年の大学祭で友人から大麻を勧められ軽い気持ちで手を出した。
「これを吸うと気分がよくなるぜ」
「麻薬だろう~」
「そうだけど、誰でもやってるし、きつくないから大丈夫だよ」
「誰でもって、誰?」
「ほら、この間の学園祭でミスになった経済学部の鈴木さん、この間、合コンに行ったら彼女も来ていて、俺は行かなかったんだけど、そのあとカラオケにいって勧められたみたいだぜ」
「ほんとうかよ。驚いたな」
その後も数回、大麻を吸った後、覚せい剤にも手を出した。

何度目かの覚せい剤吸引後、警察官が自宅を尋ねてきた。母親の公子が対応、警察官は隆二の住んでいる地域で空き巣が多いため、各家庭を訪問し注意を促すとともに聞き込みをしていたのだが、隆二には覚せい剤使用がばれて調べにきたのではないかと思えた。

そのうち、警察ではなく、覚せい剤常習者を取り締まる影の組織があり、その組織の暗殺者が隆二を狙っていると思うようになった。
コトッ、外で音がすると暗殺者が来たと思い怯えた。
ニャー、「ふん、間抜けな暗殺者だ。そんな声でだまされるか!」

ヘリコプターの音がすると、監視されていると確信した。
空挺部隊の暗殺特殊部隊がやってくる。
不安にさいなまれ、覚せい剤を吸った。
●妄想と現実の区別がつかずに犯罪へ
「宅配便です」の声に隆二は居留守を使った。
母が帰宅して
「あら、隆二、出かけてたの?不在連絡票が入っていたわよ」
「うん、少しね」

この時、隆二は「なるほど、わざと出かけていたんだな」と思い母まで組織の手に落ちたと確信した。
この時以降、母親が作る食事を食べずに
お菓子やカップラーメン、パンなどを食べて過ごすようになった。
「どうしたの隆二、なぜ食事しないの?」
“毒をいれてあるんだろう。組織から指示されて、母親のくせに俺を殺そうとしているんだ”何も言わずに、母親を睨みつけた。
「なによ、そんなに怖い顔して、へんな子ね。きちんと食事しないと体が悪くなるわよ」
母はそう言った。

公子は近頃、隆二の様子が変なことには気がついていたが、どうして良いのかわからずそのままにしていた。でも、隆二の様子が日を追うごとに変になってくる。これは普通じゃないと思い夫の朗に相談したものの、「そんな時期なんだろう」ですまされていた。
「でも、普通じゃないよ」
“そうだ、明子に相談しよう。彼女なら保健所に勤めているし、精神障害に関わる仕事をしていると言ってたからなにかアドバイスしてくれるかも知れない”そう思ってすぐに明子に電話した。
●事件(暗殺者を返り討ちに)
数日後、明子(母親の友達で保健所で精神障害関連の仕事をしている)がやってきた。
「隆二君、ごぶさた」
部屋の外から明子が隆二に声をかけた。

隆二は、とうとう殺される日が来たと思った。
「そうはさせるか。殺される前に殺してやる。組織がどんなに大きくても、一人でも二人でも道連れにしてやる!」
バットを持って、母親とその友達がいる台所へと向かった。

大きな音と悲鳴を聞きつけた隣家からの通報で
警察官が駆けつけると
眉間から血を流した女性が片手を押さえている。
中年の男性が二人で青年を押さえつけているのだが、その青年は押さえつけられながら笑い転げており、ときたま訳の分からないことを口走っている。

隆二は警察官を認めると、お前も死ね!と言ってつばを吐きかけた。
くそ!!ここで捕まったら裁判もなく殺されるじゃないか!!
と思った瞬間、隆二は警察官に手錠をかけられていた。
「お前がやったのか!」
「そうだ、こいつらが殺しにきたから返り討ちにしてやった。お前も暗殺部隊のメンバーなんだろう。なぜひとおもいに俺を殺さないんだ!」
「えっっ・・・」

救急隊員が入ってきた。
眉間から血を流していたのは母親の公子だった。
明子は手でかばったらしく腕を骨折していたが他に外傷は見当たらなかった。
救急隊員が二人を連れてゆく。

翌日の新聞に
「バットで母とその友人を襲う!」
「23歳の青年にいったい何が?」
という見出しが躍った。
●警察から病院へ
警察で取り調べを受けている間も不安で仕方なかった。
殺される!殺される!殺される!
どうしよう・・・・!

警察官は逮捕時の様子から見ていて薬物使用を疑っていた
そのため令状を取り採尿のため
宮内病院に連れて行った。
隆二は抵抗して暴れたが3人の警察官に押さえつけられ
医師の手により強制採尿された。

取調室でも隆二は
「殺さないでくれ!」と叫んだかと思うと
「死んでやる」と言って壁にむかって走ろうとした。
幸いそばにいた警察官に押さえられ、
壁に頭を打ち付けて自殺しようとした隆二の企みは成功しなかった。

検察官から精神鑑定の依頼が大学病院の田中教授のもとにあった。
起訴予定の罪名は殺人未遂と覚せい剤取締法違反である。
精神鑑定をした田中教授は「覚せい剤の影響で現実的な判断をする能力が低下していた」との結果を伝えた。

2~3日すると、隆二は落ち着いてきた。
覚せい剤が体から抜けたことで事件前のような恐怖感はなくなったものの、それが覚せい剤による幻覚や妄想によるものだったという確信は持てなかった。
●起訴され判決、医療へ
起訴された。
事実関係は争わなかった。
田中教授の「覚せい剤の影響で現実的な判断をする能力が低下していた」という精神鑑定の結果が採用され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。

執行猶予判決を受けて、検察官からの申し立てにより、地方裁判所から心神喪失者等医療観察法にもとづく鑑定入院が命ぜられた。

隆二はおおぐま病院に搬送され
診察を受けた。
おおぐま病院には薬物の専門家である峰岸源三医師がいることで有名である。今回の鑑定医は峰岸医師が指定されたが、他の病院の医師が鑑定医として指定されることもある。

峰岸医師は隆二に向かって
「まだまだ、しっかりしてるじゃない。これなら大丈夫、治せるよ」
と語った。
隆二はそれを聞いて、少しホッとした。
俺、もうだめだ。とづっと思っていたのである。
「もう二度と薬に手を出さないように、いっしょに頑張ろうね」
「はい」
「でも、俺本当に大丈夫でしょうか?」
「お母さんもお父さんもとても心配していたよ。ああ、それからお母さんの友達の明子さんも」
「えっ、そうですか」
隆二の顔が少し和らいだ。

これから隆二の様子を観察し
3か月を限度に鑑定および医療の面からの観察が行われ、
医療観察法指定入院医療機関での入院治療が必要かそれとも医療の必要はないのかを判断することになる。

診察の様子を見ていた看護師の井植未夢は診察が終わってから峰岸医師に尋ねた
「先生、このあとどのように治療するんですか?」
「そうだね、これを読んでわからないところがあれば教えてあげるよ」
そう言って“JAEP教育研修会テキストVol.1”と書かれた雑誌を渡された。それには約40ページにわたり薬物中毒のことが記されていた。