精神科救急の現場から
登場人物は
すべて
架空の人物です。
●もう嫌だ!疲れたんだ!
井の頭線の永福町駅で渋谷行きの普通電車から急行電車に乗り換えようとしていた中年男性がホームに進入してきた急行電車に接触、大学病院の救命救急センターに搬送された。
幸い、右肩骨折と擦り傷、打撲傷があるものの命に別状無く、すぐに退院かと思われたが、「嫌だ! もう嫌だ」と小いさな声で呟いたのを看護師が聞いた。
「どうしたんですか?」と尋ねると
「もういやなんだ.疲れた」と小さな声で返事が返ってきた。
ベテランの看護師だったため、自殺かも?と思った。
「そう、少し先生にもお話を聞いてもらいましょうね」と告げて精神科の大熊治夫医師に連絡。
大熊治夫医師はおおぐま病院院長の息子で父親と同じ精神科医である。父親と同じ病院で働くのは嫌なようで、救命救急センターで勤務のかたわら大学での研究に打ち込んでいる。
『非常勤で1週間に1日くらい診察に来ないか』という父親の要請も
『忙しくて時間がない』と断り続けている。

大熊治夫医師が患者さんに話しかけた。
「死のうとしたんですか?」
「いいえ、そこまでは・・」
「じゃあ、ただ足か絡まってこけただけですか?」
「いいえ、何もかもなくなるよなって思って」
「それはどういうことですか?」
「うん、あの~、死ねば何もかもなくなるでしょう?」
「すべて無くしてしまいたかった、ということですか?」
「疲れててね。ずっと努力してきてね、やっと光が見え始めたと思ったら、またどん底なんだ。もういいかげん疲れてしまって、」
「でも死んだらうれしいことも楽しいことも含めてすべて無くなりますよね」
「ええ、そうでしょうね。でもいくら努力しても、もうどうにもならないので・・」

患者さんの名前は福井修一、43歳、一級建築士として事務所を構えて、13年になる。家族は妻と子供が一人。

独立当初はビルやマンションの設計に携わってきたが、不況になり設計単価がどんどん下がり続けてきた。このままでは先細りになるとことを心配し、業務の整理、再構築を行ってきた。簡単に説明すればゼネコン関係の仕事を減らし、一戸建て住宅中心に切り替えたのである。当初は大幅に売上を落としたものの、それ以降は順調に売上を伸ばし、何とか利益を確保できる目処が立ってきたところだった。
●知人の保証人になって
自殺未遂で救命救急センターに搬送された福井修一さんは自分自身の事業再構築作業を行ってきた。その間、2年間は旅行にも行かず、洋服等も子供のもの以外はできるだけ新しい物は買わないようにしてきた。その努力が実り、やっと光が見えてきたのである。
ところが、3カ月前に、知人が破産、保証人になっていたため銀行から6千万円を返済せよとの通知が入ったのである。自分自身の借金もあり、とても返せる額ではない。何度か銀行に出向き交渉してみたものの、どうすることもできず途方に暮れていた。
もっとも家では妻には「何とかするから大丈夫だよ」と話していた。妻もその言葉を全面的に信じていた訳ではなかったが、信じたい気持ちが強く、何も言わなかった。
ただ、妻には夫が今までと比べて、ちょっとした子供のいたずらに腹を立てて怒鳴り散らしたり、仕事中にため息をついたりする姿が目につくようになっていた。
一日中、設計図とにらめっこしながら全く仕事が進まない日が続き、納期に遅れないようにするために外注に出したりした。このため、仕事は何とかこなせたものの、それはすべて外注によるもので、利益率は大幅に減少、妻に渡す生活費さえ事欠くようになりカードでキャッシングするようになった。それからはキャッシングで自転車操業、しかしそんな状態では数ヶ月以内に破綻することは明白だった。

永福町の駅でも“死のう”という強い意志があったわけではない。ただ、ホームに入ってくる急行電車を見ていると“死ねば、すべて無くなる”と思ったのである。それで、ふらふらと歩き電車に接触、線路に飛び込んだ訳ではなかったので、骨折程度の怪我ですんだのである。もう少し強い自殺の意志があれば線路に飛び込んで死んでいたかもしれない。
「奥さんやお子さんのことは考えなかったのですか?」
「いいえ、妻や子供のことは好きです。でも何もしてやれない」
「経済的なことを相談できる人はいないのですか?」
「いいえ、いません」
「じゃあ、弁護士さんに相談してあなたも破産するとかは考えなかったのですか?」
「それはだめです。そんなことしたら家もなくなってしまう。苦労して買ったんですよ、妻と二人でね。彼女の頑張りがなかったら買えなかった。妻はね母子家庭で育って、ずっと小さな頃からアパート暮らしだったんです。それでね、自分のうちが欲しいって言って、1円を節約してそれを積み重ねてやっと手にした自分の家なんです。それに子供は庭に花壇を作って、色んな花が咲くのを楽しみにしている。おとなしい子でね、破産して転校になったらいじめに遭っても自分でそれを跳ね返せるかどうかわからない。だから破産するなんてことは考えられません」
●取引先の支援もあって、再起
福井さんは『妻と子供のことを考えたら転居できないから、破産もできない』と言っているのである。
大熊医師が続ける。
「でも、家のローンもあるんでしょう?それに借金も払う当てが無い」
「ええ、でもそれは生命保険で相殺されますし、少しですけど妻や子のもとに現金も残りますから・・」
「なるほど、だったらあなたが死ぬとあなたはもう苦労しなくていいし、借金もなくなり家も残るから妻子も守れる、ということなんですね」
「ええ、」
「そこまで考えて死のうとしたんですか?」
「いいえ、何と言うのか・・。もう、なにもかもいやになったんです。疲れ果てたと言うか・・」
「じゃあ、もう死ぬしかない、という訳ではないんですね」
「ええ、そこまでは思っていません。でも死ねば疲れるようなことが無くなるとは思いました」 大熊医師は少しホッとした。
『何が何でも死にたい訳じゃないんだ、良かった』
と心の中で思った。
そして福井さんに向かって
「じゃあ、少し病院で休んでいきませんか。ここのセンターじゃ無理だけど、個室で1週間くらい休める病院がありますからご紹介します」と入院を勧めた。

福井さんが入院を了承したので大熊治夫医師はすぐにおおぐま病院に電話を入れた。名前を告げるとすぐに院長に代わった。大熊治夫医師にすればできれば父である院長とは話したくなかったのだが、受付が気を利かしてすぐに院長に代わったのである。
「うつで自殺未遂の患者さん、1週間くらい個室に入院させたいんだけど?」
と言うといきなり
「うちの病院、どこにそんな空きがあるんだ?知らないのか。バカもん!今日だってやっと1部屋空けたところなんだぞ!」
と院長の怒鳴り声、
『親父のやつ、患者さんにはとても優しいくせに、俺にはいつもこうだ』と思いながら
「じゃあ、ここにいる患者さんは他にまわすの?」
「やっと1部屋空けたといっただろうが。空いているんだから送ってこい」
やれやれ、いつもこうだと思いながら福井さんに向かって
「おおぐま病院の個室が空いているそうです。そこでゆっくりしてください」と告げた。
福井さんは2週間ほど入院し、あとは外来で治療を続けることになった。うつ病の治療ができたとしても福井さんの問題が解決するわけではない。経済的な部分は何も変わっていないし、その経済的な部分こそがうつを引き起こした大きな要因でもある。
自殺は精神科の治療だけで防げる問題ではないものの、福井さんのケースでもうつ病を治療したことで、前向きになり、弁護士に相談。結局、破産手続きを進めることとなった。福井さんの顧客はそのことを知って応援してくれるようである。
まじめに一生懸命働いてきたがゆえにうつ病になったものの、だからまた取引先が福井さんを信頼し、支援してくれることにもなったのだろう。
●生きることに疲れたあなたへ、経済的なことも含め色々な相談窓口があります。
「生きる(自殺予防総合対策センター)」の相談窓口一覧
http://ikiru.ncnp.go.jp/ikiru-hp/ikirusasaeru/index.html

「内閣府」の相談窓口一覧
http://www8.cao.go.jp/jisatsutaisaku/link/soudan.html
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