精神科救急の現場から
登場人物は
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架空の人物です。
●トリニダード ドバゴで保護
1月23日、カリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴのピアルコ国際空港で日本人カメラマンの野村慶(のむら:けい、33歳)が保護された。

空港到着後、2日たっても出ようとしない野村に不信感を抱いた空港職員が警察に通報、保護され日本大使館に通報された。日本大使館で保護されたものの“追われている”“殺される”という妄想が強い状態だった。

トリニダード・トバゴは1962年に英国より独立した若い国で、中南米ではめずらしく英語が公用語となっている。
野村は英語が堪能で海外旅行の経験もあった。このため途中の乗り継ぎもうまくこなしトリニダード・トバゴに着いたのである。

ところがトリニダード・トバゴに着くと“空港の外でお前を殺すための暗殺団が待っている”との妄想にかられ、空港から動けなくなっていたと ころを保護されたのである。

大使館からは外務省を通じて日本の両親に連絡が入った。
「外務省の百地(ももち)と申しますが、野村慶さんがトリニダード・トバゴで保護されました」
「はい、お金振り込むんですか?」
「え?、いいえ!!振り込め詐欺ではありません!!外務省です!」
「ああ外務省、そんなところとは私は無縁ですが」
「それがですね、お宅の息子さん、野村慶さん33歳がですね・・」
「おや、こちらから言わないのに息子の名前も歳も知っている。これは本当にお役所の方なんですね。失礼しました。電話代わります」

「主人が失礼な事を申し上げたようで、まことに申し訳ございません。ところで外務省の方とおうかがいいたしましたが、どのようなご用件でしょうか?」
「おたくの息子さんで野村慶さん、33歳がトリニダード・トバゴで保護されました」
「その、ト・・、とはどこですか?」
「中米のカリブ海にある国です。日本からだとニューヨークかマイアミあたりで一度乗り継いで頂いて1日半くらいで着くと思います」 「えっ!なぜ息子はそんな所に居たんですか?」
「旅行に行かれたんじゃないんですか?日本の旅行会社で予約をとって行かれたようですよ」
「それは知りませんでした。北海道でロケがあるといって出かけたものですから」
「慶さんはご病気のようです。一人で帰国していただくのは難しそうなので迎えに行って欲しいのですが。パスポートは県の旅券事務所で事情を 説明すればすぐに発給してもらえますから」
「たしかにロケに行く前は少し状態が悪いような気もしたんですけど、編集の方もいっしょだし薬もきちんと飲んでいるからということで送り出したんですけど」
「ロケに出られたのはいつですか?」
「20日です」
「それじゃ、その日に成田から出国していますので北海道ロケへは行ってませんね」
「ああ、そうなんですね。迎えに行けるものなら行きたいのですが、私も夫も持病があるので2~3時間の移動でも大変負担になるんです。1日半もかかるようなところへは行けませんし、行こうとすれば途中で皆様にご迷惑をおかけすることになると思うんです。兄弟といっても妹が一人だけで、その妹も家事と仕事で手一杯でとても1週間近くも休めるような状態ではないんです。どのようにしたらよろしいでしょう?」
●プロカメラマンとして腕は良いのだが
肉親が迎えに行けず、トリニダード・トバゴ大使館では人員不足で付き添って帰国する人的余裕が無い。結局、アメリカのマイアミにある総領事館の医務官が慶さんにつきそって帰国することとなった。

野村慶は一途に物事に打ち込むところがあり、カメラマンとしての腕は高く評価されていたものの、相手の話を聞かない傾向があり野村との仕事を敬遠する編集者もいる。

野村と良く仕事をする編集者は「たしかにこちらのこまかい要望は聞いてくれませんが、全体的に、どのような写真が欲しいのかを伝えれば、こちらが考えていた以上のものを撮ってくれるのでありがたいです」と語っている。

野村としては細かな部分までクライアントの要望を聞いていたのでは目的とする写真が撮れない、だから細かな事は聞かないということらしい。

またポリシーに反する写真は撮らないと決めていた。ポリシーに反する写真を撮ると非常に苦痛を感じるのだという。そのため腕が良いにもかかわらず、仕事の量は少なく、ギャラの額も低かった。

野村は大学時代にささいなことから友人と喧嘩になり、その時は周りがとりなしてくれたものの「双方が謝罪」という解決方法に大きな屈辱を覚えた。その後、そのように無理解な友人と同じ大学で学ぶことが苦痛となり、精神的に孤立していった。

しばらくすると、「助けてくれ」と叫んで走り出したり、電車の中で向かいに座っている人に「なぜ付けてくるんだ!」とどなったりするようになった。その後も、「だれかに監視されている」という意識が強く、見かねた両親が精神科のおおぐま病院を受診させ、半年間入院。

退院後もおおぐま病院に通院しており、10年以上になる。主治医は杉岡医師。
●成田から精神科救急病院に搬送
医務官とともに成田に到着した野村慶は「俺は家に帰らない! 殺されるんだ! 助けてくれよ!」と叫び動かなくなった。
空港から警察に連絡し、精神科救急当番の房総こころのセンターに搬送され応急入院となった。

翌日、房総こころのセンターでは医師、看護師、作業療法士、臨床心理士、精神保健福祉士などを含めた毎朝のカンファレンスで野村慶さんの入院が報告された。この病院では常にすべての患者さんの状態をすべてのスタッフで把握し、治療にあたっている。

「野村慶さん、33歳、1月23日、カリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴのピアルコ国際空港で保護され、昨日、大使館の医務官につきそわれて成田に到着しました。迫害妄想が強く帰宅を拒否したため警察からの依頼で当院に応急入院となりました。」と精神保健福祉士の寒川が説明する。

「統合失調症でおおぐま病院に通院中で、主治医は杉岡医師。おおぐま病院には連絡をとっているところです」
「保護された時の状態はどうだったの?」
「空港に着いて外に出られずにいたそうです。2日間も動かないので警察に通報され保護されたようですね。迫害妄想から空港から出ると殺されると思っていたようです」

「でもそんな状態の患者さんがよく成田を出国できたね」
「ええ、どうも日本にいると殺されるので、暗殺団の手が届かない外国に逃げようと考えたようです。旅行会社にはカメラマンという仕事を利用して、急な仕事が入ったのでということでできるだけ早い航空機を予約したようです」

「税関などでも気づかなかったんだね」
「ええ、空港ではまったく気づかれなかったようです。ただ、機内では少し様子がおかしかったようで客室乗務員の方が覚えておられました。」
「なるほどね」
●国際連携小委員会が設置される
成田に到着して2日後、ご両親と妹さんが房総こころのセンターに来院。同センターの看護師が付き添って野村慶さんをおおぐま病院へと連れて行った。

「杉岡先生、どうでしたか」 診察後の家族面談で両親が杉岡医師に尋ねる。
「4ヶ月ほど、来てませんがご存知なかったのですね」
「えっ、通院しているとばかり思っていました」
「そうでしょうね。きちんと通院して治療を続けていればここまでにはならなかったでしょうが。」
通院を中断し、統合失調症が悪化、迫害妄想から海外逃亡に至ったのである。

「医療保護入院となります。・・」両親への説明が始まる。横で妹さんも聞いている。
横道にそれるが、この妹さん、慶の病気を理由に夫の親族から結婚を反対された経緯がある。その時、夫(当時は恋人)の『何としてでも説得するから』の言葉を信じて2年間まった。

半年後に母が折れ、その1ヶ月後には父も結婚を承諾した。しかし、田舎で比較的裕福な家で祖父母も含めた3世代家族だったため、祖父が頑強に反対し続け、結局2年間待つ事となったのである。

野村さんは4月初旬には退院できそうである。
病棟看護師のユウ(赤木由宇)が回診にきた杉岡に
「野村さんのように海外で保護されて帰国する患者さんって多いんですか?」
と聞いて来た。

それに答えて杉岡医師は
「結構いるんだよ。それに現地から日本の医療機関まで患者さんを運ぶための手続きが煩雑でなかなか誰も手を出したがらないんだ。でもこのままではいけないってことで精神科救急医療国際連携検討小委員会が日本精神科救急学会に設置されたんだ。この小委員会には外務省始め警察や保健所からも参加していて、海外での精神科救急援護事例の検討や帰国・受入システムなどについて検討を重ねているんだよ」

「じゃあ、すぐに体制が整うんですね」
「関係する省庁が厚生労働省、外務省、警察庁と複数にわたっているし簡単にはいかないよね。でも前回の会議では邦文紹介状のフォーマットやセキュリティ確保などについて具体的な話ができたし、各省庁との連携協力についても具体的に討議されているから心配することはないと思うよ」
「国によっても事情が違いますしね。大変でしょうね」
「そうだね」
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