声明
「精神科救急入院料の病床制限は地域医療崩壊をもたらします。
我々はそれに強く反対し、見直しを求めます。」
令和2年11月10日
一般社団法人 日本精神科救急学会
理事長 杉山直也
一般社団法人日本精神科救急学会(以下当会)は、精神科救急入院料の病床制限に関する診療報酬改定(注①)が、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」に深刻な影響を及ぼし、地域医療崩壊を招く危険性が非常に高いと判断し、以下を提言する。
□移行措置期限の延期ないしは制限の撤廃を求める。このまま改定が進めば、地域医療は崩壊する。現状における課題に対応できる包括的な体制整備がなされるまでは、現医療体制を維持すべきである。
□今後整備される体制においては、客観的な指標を設定し、透明性と合理性を備えた仕組みとすべきである。地域精神保健の基本に則った根拠ある医療政策により、サービスの質を維持・向上させ、現状の課題に対応していくことを求める。
(注①)
■平成30(2018)年度:精神科救急入院料の病床上限(300床以上の病院では全病床の20%以下、それ以外は60床まで)
■令和2(2020)年度:移行措置の期限設定(令和4年度から発動予定)
当会は、根拠(エヴィデンス)に基づく学会での討議・検証過程を経て、関係者(公的病院、民間病院、研究機関、自治体等)の総意のもとにこの提言をするものである。
以下に、提言に至った理由を述べる。それは大きく分けて以下の4つである。

1. この診療報酬改定は医療崩壊をもたらし、国民に不利益を生じる危険性が明らかであること。

2. この診療報酬改定の数値そのものに合理的な根拠が存在せず、適切な手続きも欠いていたこと。

3. この診療報酬改定は、政策全体の方向性から逸脱・逆行しており、「地域包括ケア体制の構築」への深刻な影響が懸念されること。

4.精神科救急入院料に対する批判は合理性を欠き、根拠がないこと。

上記の4つの理由について、以下にその根拠を記述する。


1.この診療報酬改定は医療崩壊をもたらし、国民に不利益を生じる危険性が明らかであること。
高水準で稼働し、地域の精神科救急医療体制およびその整備事業を下支えしている救急入院料病棟に制限がかかった場合、深刻な影響が発生し、地域医療の崩壊をもたらす。その危険性を表すデータとして、当学会が47都道府県・20政令市を対象に実施した緊急アンケートの結果を示す。83.6%の高い回答率を得ているが、精神科救急⼊院料の病床を有する医療機関の貢献度を問う質問では、「きわめて⼤きい」と「⼤きい」の合計が92.3%を占め、診療報酬改定による精神科救急医療体制への影響予測を問う質問では、「きわめて⼤きい」と「⼤きい」の合計が69.2%であった。これは地域の医療崩壊が確実視される水準である。必要とされている医療サービスが提供できなくなることにより、国民が不利益を被ることは明らかである。


2.この診療報酬改定の数値そのものに合理的な根拠が存在せず、適切な手続きも欠いていたこと。
制度は年月とともに疲労することが必然で、精神科救急入院料においても例外ではなく、課題があることも当学会内外で承知されている。しかしながら、制度の修正が必要なのであれば、包括的・俯瞰的視点のもと、精神科医療福祉全体の協調や合意の上で適切な手続きを経て、適切な内容に設定すべきである。特に今回のような、医療へのアクセシビリティ、即応性、公平性、地域サービスの包括性、一貫性、統合性における利便性、これらすべてを低下させうる改定、つまり社会制度のいわゆる不利益変更においては、事前に利害関係者の意見を求め、慎重に合意形成が行われる必要がある。しかるに、そのプロセスが踏まれた形跡が全く見当たらない。また、改定を要する合理的・数値的な根拠も見当たらない。


3.この診療報酬改定は、政策全体の方向性から逸脱・逆行しており、「地域包括ケア体制の構築」への深刻な影響が懸念されること。
国および厚生労働省は現在、精神科医療および精神保健福祉における一体的な政策として、「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」を推進している。中でも精神科救急医療は、急性増悪時・急性発症時の対応、入院長期化防止、多様な精神疾患への対応体制の構築において、特に重要なサービスとして位置づけられ、その課題を整理して体制を強化・推進すべきとされている。その目的を果たすため、分科会として「精神科救急に関するワーキンググループ」も開催されている。そのような取り組みの流れに逆らうのが今回の改定であり、その影響は深刻なものと想定される。
当学会が行った前述のアンケートにおいて、「地域包括ケア体制」への影響予測でも、「きわめて⼤きい」と「⼤きい」の合計が67.3%を占め、地域医療へのダメージは壊滅的である可能性が示唆されるものであった。このままこの改定が進めば、今まで「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」のために実行してきた政策も、関係者が一丸となった取り組みも、水泡に帰す恐れがある。このように、政策全体の方向性から逸脱・逆行しており、一貫性がなく、何ら国民の利益に資さない改定を看過することはできない。
精神科医療、精神保健福祉、診療報酬、行政事業などの諸制度は、連動しなければその効果を発揮しない。今回の改定は明らかにこれら一連の動向とは整合せず、全体的なシステムやその機能性に少なからず影響する。これらの施策は、国民の健康増進・維持に直結するものであり、単に医療サービス上の停滞を招くだけでなく、多方面への影響によって当事者・支援者並びに関係者を含めた多くの国民に不利益をもたらす可能性が高い。
現在、精神保健医療福祉においては「地域包括ケア体制」としてより包括的な体制整備の全体論が構築されているが、入院医療の分野においても、回復段階に応じた病棟体制に欠落がある。医療界全般で行われているような重症度に応じた医療提供体制の再構築については、その議論の準備さえ整っていないのが現状である。そのような中で、高度急性期にあたる救急入院料のみを対象とした不合理な制限を設定することは、極めて拙速かつ乱暴と言わざるを得ない。修正はあくまで、医療提供体制の課題をカバーすべく、フルラインのサービスとして連動的に見直される必要がある。破壊的影響が推察される部分的な制度変更については、拙速を避け、いったん保留した上で安全な見直しが検討されるべきである。


4.精神科救急入院料に対する批判は合理性を欠き、根拠がないこと。
現在の精神科救急入院料に対する批判の根拠として確認できるのは、中央社会保険医療協議会の資料中、「平成28年の改定以降も当該入院料の届出病床数が増加している」という事実のみで、その是非について論議された経緯は確認できない。つまり、過剰であるとの巷の批判は主観的な風評に過ぎず、「過剰」と評価される合理性や根拠が見当たらない。
また、「医療内容の困難度に見合わない高単価」なる批判については、当学会員が深く関与する厚生労働科学研究において明確に反証されている。当学会のガイドラインをもとに重症度評価方法を開発し、妥当性を確認した上で、精神科救急入院料病棟に入院した患者群の重症度を測定すると、その全体像は、重症患者の目安とされる非自発入院者のプロフィールに近く、当該病棟の医療内容とニーズに根拠ある相応性が示されている。

以上の4つの論点から、当該医療に係る専門学術団体として、当学会は、合理的根拠や適切な手続きを欠いた制度変更に異議を申し立て、国策としての「精神障害にも対応した地域包括ケアシステムの構築」に対する深刻な影響および医療崩壊の危険性について警告するとともに、改定への反対を強く表明して見直しを求め、今後の発展的な議論を呼びかけるものである。
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